2012/10/30

ご協力ありがとうございました。

昨日28日(日)に、二回目の「助け合いWS」を無事に終える事が出来ました。

雨にもかかわらず、遠方より足を運んで頂きまして、本当にありがとうございます。

結果を申し上げますと、WSだけでは手術・治療にかかる費用は集まりませんでした。
ですが、WSの宣伝開始後、今回ご都合により参加出来なかった方々がDVD等をブティックアミナタよりお買い上げ下さったお陰で、十分賄える位の金額が集まったと思います。

・WS ¥18.600-
・ブティック・アミナタ売上 ¥52.300-
(共に経費を含まず)

この内、アミナタ宛に手術・治療費として必要だと言っていた3万円を送金済です。
全額送金すると直ぐに使いきる事もありそうなので、先ずはこれだけ送りました。


ドラムクラス講師とダンスクラスも引続き叩いて下さった大久保さん、つたない段取りでご迷惑をおかけしました。
ご協力頂いて助かりました。

ありがとうございます。

また、多方面にお知らせ頂いた方々にもお礼を申し上げます。

ありがとうございました。




















2012/09/28

この中に、お医者様はいらっしゃいませんか?

2012年、現地時間3月6日にギニアに入った。

空港にはクルマンケの他に、仕事で留守にしていた
師匠アミナタの旦那マディーも出迎えてくれた。

マディーは自分のバイクで来ていたので、私とクルマンケは
タクシーを拾いそれぞれギニアの我が家へ向かった。

マディーの異変に気付いたのは、アミナタが仕事から戻った数日後だった。

マディーは若い頃、ギニアでも割としっかりしたサッカーチームの選手だった。

ヨーロッパのサッカーシャツではない、オリジナルのユニフォームに
スバイクらしきシューズでチームメイトと写っている写真が
飾られているので確か。

その同窓会試合が、私が到着するひと月前にあったらしい。


私「マディー、足どうしたの?」

マ「サッカーで痛めちゃって…」

ア「マディーが転んで四つん這いになったところに、
こんっっっっっなに!(両手をいっぱいに広げて)太った人が、
マディーの足首辺りにデーンッ!て尻もちついたのよ!
こんっなに太った人!アッハッハッハッ!( ̄▽ ̄) 」


母ちゃん…( ̄▽ ̄;) 笑ったら可哀想…


歩き出しの痛みが強い様で、最初はゆっくり、調子が出てくると
普通の早さで歩けるし、リハビリかの様に小走りしたりもしていたから
打ち身か捻挫だろうと思ってた。

お金がある時にだけ接骨院の様な病院へ通い、塗り薬と
青い光を当てる治療を続けていた。

私がお土産で持って行ったタイガーバームと冷湿布が「痛みが和らぐ」
とも言っていたので、骨ではないだろうと素人ながらに思っていた。

しかし、治るどころか痛みが増した気がすると言い出した。

腫れてもいないし、熱も持っていない。

しばらくしてレントゲンを撮ってみようと言う事になり、
仕事がないマディーの代わりにアミナタが20万ギニアフランを用立てた。

5千ギニアフランが約60円位だったから、2.400円か。

日本で、国保でレントゲン撮るとこれ位するのかな?

もしそうなら、先進国と同じ医療費はキツイ。


撮ったレントゲンは患者さん保管の様で私も見る事が出来たんたけど、
何とまぁ、足首に4センチ程の黒い線がピキッと入ってた。

あららら…ヒビいっちゃってたのね。

よくそれでバイク乗ったり小走りしたり出来たなぁ。


そしてギプスをはめる事になり、ますます歩き難くなったマディー。

ギプスは4週間で取れるとの事で、
はぁ~、原因も分かって一安心だね~ (^_^)ヾ(^^ )
と一件落着かと思いきや、ギプスが外れても痛みが和らぐ気配無し。

どう言う事???


アミナタ家の引っ越し騒動等があり、私が支払ったワーク代も
底をついていたので病院に行く事も出来ないまま、痛みの原因も解らないまま私は帰国。
その後もゆっくり歩く事は出来るがかなり痛かったらしい。

痛いなら出歩くな!ヾ(`皿´)ノ もぉ~っ=3


それから更に月日は経ち、今現在未完治なんですけど~( ̄◇ ̄;)

何で?何で??何でなの???


私よりも本人が知りたいだろう。

ブティック・アミナタの売上、DVDの売上を小出しの小出しで送金し、
それでもマディー1人の治療費に使い切る事は出来ないだろうから
どうしていたんだろうなぁ。

って言う、かなり苦しい事情は事細かく知ってるけどココでは書かない。

欲を満たす為に、150円位のお菓子1個さえも買えなくなる位、
私には胸が痛む話。

お菓子を我慢したところでギニアは潤うわけでもないし、私の贅肉が減るわけでもないんだけど…。

(*`◇´*)ノ" 私のお腹(贅肉)よりギニアに潤いを!




さて、今週になって、毎日のようにアミナタから着信があった。

8、9月と忙しくて、クルマンケにさえも電話が出来ずにいて、
2人に、「時間がある時にこちらから電話するからね。」と言ったまま
ふた月が経とうとしていた。

クルマンケは、余程の大事でない限り電話はして来ない様にしてくれている。

アミナタから着信があったその日も出る事が出来ずにいた。

その後直ぐにクルマンケからも着信があり、これはただ事ではないと思い
急いで折返す。


「マディーの足、手術が必要らしい…」

手術費・術後治療費が揃い次第急いで手術したいと言う。


150円のお菓子を何回我慢したら良いんだろう…


途方に暮れてしまった。

またアミナタの家族を助けられないのだろうかと。

一人で悩んでいても仕方がないので、周りに手を貸して貰う事にしました。


・・・・・・・・・・

※下記のWSは終了しております。
2014年3月のギニア渡航時現在、マディーの足は完治しております。
ご協力いただき、ありがとうございました。



【10月・助け合いアフリカンワークショップ】を開催します。

私個人の思いからアミナタ個人への支援なので、「助け合い」と致します。

「私と師匠アミナタの助け合い」、「私と日本の友人の助け合い」。


行う内容は、至って普通のドラムとダンスのワークショップです。

ワークショップのクラス費用は、会場費、講師駐車場以外の全額をアミナタの夫、マディーの手術と治療費の為に送金致します。

もし、ありがたい事に必要以上の送金額になった場合、入退院を繰り返している
アミナタの実母の医療費とさせて頂きます。


どうぞ、皆様のご協力をお願い申し上げます。


現在、10月末の送金を目指して、2回のワークショップスケジュールを設けました。

もし足りない様であれば11月も継続したいと思っております。

又、下記の開催日以外にも検討している最中であり、日時の追加などが
ある場合もあります。


以下、決定している日程と詳細です。


<横浜クラス>

開催日:10月13日(土)、28日(日)

ドラムクラス:15:00~16:50
料金:1.500円
講師:大久保 潤
太鼓レンタル無料(要予約)

ダンスクラス:17:00~18:50
料金:1.500円
講師:しょうじ みほ

※両日とも時間帯は同じです。

場所:横浜市金沢スポーツセンター 研修室
横浜市金沢区長浜106-8
http://www.yspc.or.jp/kanazawa_sc_ysa/

※会場へのワークショップについてのお問い合わせはお止め下さい。

交通手段:
●京浜急行線『京急富岡駅』下車徒歩17分
●シーサイドライン『並木中央駅』下車徒歩7分
●横浜市営バス294系統(新杉田駅前より)
『第3小学校前』または『金沢スポーツセンター前』下車徒歩1分

 地図を拡大


駐車場:24台 
2時間 300円、以降30分ごとに50円

※向いにビアレ横浜店の有料駐車場があります。
2時間まで無料(レシート合計額千円以上で1時間無料)、以降20分ごとに100円 かかります。


・ダンスクラスは基本的に裸足で行いますが、履きなれたダンスシューズなどの
着用は自由です。

ステップによっては足首に負担がかかる事もありますので、ご自身の責任にて
お願いします。


・ダンスクラスの服装は、動きやすい恰好であれ何でも構いません。
汗を沢山かくと思いますので、着替え、水分補給のご用意をお願いします。


・施設内に、コインロッカー(使用後料金返却)、無料シャワールーム、自販機、給水機があります。


・ドラム、ダンスクラス共に同じ曲を演奏致します。

「助け合い」のため、ドラム、ダンスクラス両方受講時の割引はございませんが、
ドラムクラス参加の方が、ドラムクラスの料金のみでダンスクラスの太鼓を
叩いて頂く事は可能です。


・ドラム、ダンスクラス共に見学、録音、撮影可能。
※見学のみの録音、撮影不可。


・各クラスの予約は不要ですが、ドラムクラスの太鼓レンタルに限りがございますので、レンタルご希望の方は、ご一報下さい。

太鼓レンタル・お問い合わせ先
しょうじ みほ
concasseurdanse@gmail.com



大変へんぴな会場で申し訳ないのですが、沢山の方のご参加を心より
お待ち申し上げます。

このブログへのリンク、コピー転載はご自由にどうぞ。





































2012/09/04

雨。

季節が変わり行く雨なのかなぁ?

雷&ざっと降る降り方、ギニアだ…

・・・・・・・・・・

ファラナーからコナクリに戻って5日目、日本帰国まで2週間程と言う、超ナーバスな時期に追い打ちをかける事件が起こる。

レッスン後にマディナに買い物に行き、えっちらおっちら重い荷物を持って帰宅したら、家の屋根がなくなって居た。

クルマンケの家は、6軒の家が横並びに連なった長屋で、その内の1軒が雨漏りをしたらしく、修理の為に6軒分全部の屋根を剥がしやがった!

( ̄□ ̄;)空いた口が塞がらない。

こんな時な限ってクルマンケは出かけていて、とにかく家の中を確認すると、マタム地区は雨が降らなかったらしいが、出掛けた後に家があるマトト地区は降ったみたいで、屋根を剥がした木クズや屋根に乗っていた赤土埃やらが、雨水と共に部屋中に散乱。

水浸しの泥まみれで夢でも見てるのか、悪夢なら覚めてくれ!とはこの事…

脱力して、近所の軒に座ってクルマンケに電話。

とにかく早く帰って来ーいっ‼ヾ(`□´)ノ

とだけ伝えて、後は近所の奥さんに説明してもらった。

近所の奥さん達はこんな状態になっても不安がる事なく、いつも通りご飯を作ったり洗濯したり。

「ミホ、座り込んでないで、部屋掃除しよう!手伝うから!」

と、近所の奥さん達が言ってくれて泣きそうになった。

大丈夫!一人で少しづつやるよ!
クルマンケも直ぐ帰って来るし。
(;▽;)とは言いつつ、心は泣いてたよ~。

みんなの優しさと何とも言えない虚しさと…


やっぱり私はこの国ではとても弱すぎる。

そして、ギニア人はとても親切で頼りになる。

想定外の事にも動じず状況を受け止めて行動する、私には中々出来ない事だ。


とりあえず裸足では歩けない位の木クズや崩れ落ちた壁片を片付け、雨水を部屋からかき出し雑巾かけをし、汚れた食器を洗っているとクルマンケが帰って来た。

こいつ~っ!(−_−#) 粗方終わってから呑気に帰って来やがってっ!

とは言ってませんが、私が粗方片付けた後を手際良くササーッと掃除してくれて、あっと言う間に綺麗になった。


ベッドのマットレスも泥まみれだったので、夜は床にシーツを2枚引いて寝た。

蚊帳の位置がいつもより低く、キャンプテントみたいでちょっとテンションが上がる。

これ位の事でもテンション上げて行かないとね。

近所の奥さん達は、「今夜は良い風が入って良く眠れそうね~」とポジティブ発言をしていた。


その夜と言うか夜明け前の5時頃、本気の本降りの雨が降る。

屋根の下に大きな米袋を養生シート替わりに貼っていたので、部屋の中は雨漏りがする箇所が多数あるものの、軽い雨をしのげる場所はあったのでそこへ避難して雨が弱まるのを待ち、又クルマンケが掃除をしてくれた。

気力を無くして座り込む私に、

「以前住んでいた家もこうだった。懐かしい、あの頃を思い出すよ。」

以前住んでいた家は、私も行った事があり私にとっても思い出深い。

ギニアエキスプレスと言う鉄道建設の為に取り壊されてしまった。

昔を思い出して、ちょっと元気が出た。


しかし…

屋根の修繕工事は、大家さんの資金不足でギニア出国日5日前まで行われなかった。

10日間、屋根のない家に住んでました。

途中、知り合いの留守にして居る部屋に避難させてもらったりした。

屋根のない10日間は良く雨が降り、屋根が新しくなってからは全く降らず。

ça c'est la Guinée .


































屋根を枝

2012/08/27

催涙ガスのはなし。

お久しぶりのブログ更新です。

申し訳ございませんm(_ _;)m ヒラニ~ヒラニ~

決して夏バテではないんだけど、PCに向うとなえてしまって
「ま、いっか~ <( ̄3 ̄)>~♪」になってしまう。

いか~ん!シャキッとせねば!



さて、今年のギニア渡航の続き。

思えば帰って来て3カ月たってないんだね。

でももう今年も残すところあと4カ月しかない。

時間が経つのが早すぎて追いつかないから考えるのはやめます。

日本国内では毎週金曜やたまに土日等にも原発再稼働への抗議行動
が各地で平和的に行われています。

平和的だから、長く続けられるし(本当は早く抗議行動を起こしている
側の要求が認められて終息して欲しいところ)小さい子供や女性、
年配の方々等も参加出来る利点があると言って良いのかなぁ。

選挙権のない未成年の若者も参加していると言う記事も
読んだ事があって、とても良い事だと思う。


アラブの春ではないけれど、TVで良く見る様なちょっと過激なデモに
今年ギニアで遭遇しました。

デモって言うか、あれは暴動でした。

・・・・・・・・・・

ファラナーに出発する前日、とうとう明日だね~♪と話しながら
アミナタと朝のレッスン中。

レッスン場から通りをはさんで向こう側って位しか離れていない、
コナクリ市内で1番大きいんじゃないかとアミナタが言っている、
中高一貫校なのかな?とにかく大きくて立派な学校があるんです。
(在ギニア日本大使館も文化交流とかで、何故かこけし人形をもって
訪問したとかなんとか…)

ウォーミングアップの最中から何やら外が騒がしくて、何だろね?
なんて言いながらレッスン。

ギニアでは痴話喧嘩でもなんでも、関係ない周りの人が口を出したり
話を聞いてくれたり、止めに入ったりして騒ぎが大きくなる事もあるから
(そしてみんな声が大きいし)続けるよ~ってアミナタも気にしていなかった。

その内みるみる騒音が大きくなってきて、私たちの好奇心が
抑えられなくなり外へ出てみると、学校から蜘蛛の子を散らすように
生徒たちがキャーッ!キャーッ!ウォーッ!ウォーッ!何か叫びながら
逃げ惑い、きっと教室内では机や椅子をなぎ倒しながら逃げているのか、
木と木がぶつかりあう激しい音も響き渡っていて、とにかくただ事じゃ
なかった。

「プロヴィゼール ゼーロッ! プロヴィゼール ゼーロッ!」って叫んでた。

「プロヴィゼール proviseur 校長」の事とgoogle翻訳には出ています。
「ゼロ」は「0」ね。


時期的に丁度学年末か学期末で、その成績が納得いかずのこの騒動らしい。

「コナクリの若いコたち、なかなかやるなぁ~。
大人に対して、しかも先生であっても納得いかないと思っている事を
口に出して意見する事は素晴らしいけど、暴力はいけないね。」

とアミナタと話しながら眺めていたら、レッスン場の大屋さんがやって来て、

「何してるんだ!危ないから中に入れ!」

と怒られてしまった。

入口の鉄格子扉を閉めて、レッスン再開。

でも騒ぎは収まらず、扉のしまっているレッスン場に逃げ込もうとする
生徒たちもいた。

近くに警察署も軍の施設もあるのに止めに来ないのは、
相手が子供たちだからだろうね、とアミナタ。

そうか~そうなのか~と思っていたらパーンッ!と軽い音がして、

アミナタが急に苦しみ出して、「ミホッ!ガスッ!家に帰るよっ!」と言う。

「ヘ?何?ガス?」

と思っていたら、目が開けていられなくなり、鼻の中やのどの奥、
肌の露出部分が唐辛子を塗られた様に痛くなり、まさかの
催涙ガス初体験 in Guinee。
(パーンッ!は催涙弾の音。トウガラシスプレーとう言う催涙スプレーの
一種もある様なので、この痛みの説明は近いかも。)

レッスン場には屋根がなく、生徒たちが入って来れなくてもガスは
降り注ぐ。

息も出来ず、目も開けられず、とにかく走って走ってアミナタの家に逃げた。

アミナタの家周辺は開けていて風通しが良く、逃げ着いた頃には
ここじゃダメだって言われて、裏の家に一時避難させて貰う事に
なったんだけどアミナタが先に行ってしまい場所が解らず、
痛いし苦しいしで大パニック。

丁度その頃、足首を骨折してギブスをはめていたアミナタの旦那もいて、
彼は走る事も出来なくてびっこ引きながら逃げていたけど、私もアミナタも
自分たちの事に必死で、「ごめん!自分で逃げて!」みたいな感じで
置いてきちゃった、ごめんね。
ちゃんと無事でした☆

レッスン場、学校、アミナタの家の位置関係はこちらのリンクを観てね。

催涙弾は2、3発投げられ、騒動はあっと言う間に終息。

催涙弾を放ったのは勿論ギニア軍です。

TVやラジオのニュースで流れるのかな~何て思ってたけど、
うちにはTVがなく、ラジオのフランス語は解らず、その後どうだったかも
解らず。

でも次の日には普通に学校やってた。

これが1回目の催涙ガス体験。


2回目は、ファラナーから帰宅後。

ギニアの国立劇場広場の野外ステージで、タカナ・ザイオンと言う
ギニア出身のレゲエ歌手のライブがあるとの事で、クルマンケと彼の
従兄弟と観に行った。

クルマンケのグランも行くとの事で、何故かそのグランとお揃いで
ラスタカラーの日本じゃ着れないド派手なポロシャツを、グランの彼女さんからプレゼントしてもらい、
日本で着れなきゃここで着るしかないじゃない!て事で、夜だったし、
街にくり出すし、ちょっとおしゃれして出掛けて行った先での催涙ガス。

ところで、ギニアでの大物アーティストライブって、対バンライブでもないのに
素人なのか何なのかわからない前座アーティストが踊ったり歌ったり、
挙句ミスコンまで始まったりする。

例えば「今夜のライブは20時~だよ。」と言われても、
本人が出てくるのは23時だったりするのは何で???

なので、そのタカナのライブも20時位からだったけど21時に家を出れば
良いんじゃない?とのんびり出発。

会場は野外で、特に何かに覆われて隠されている事もなく、姿は小さいけど
音はダダ漏れだし、まぁ、ディスコティック気分で只で観れるよねって
人達が、会場に面した道路の中央分離帯の高台に上って眺めていた。

ダフ屋が、「チケットあるよ~、いくらだよ~…」って売り歩いてたけど、
私たちもここで良いよね?と高台に上って眺めることにした。

もちろん、メインのタカナはまだ出てくる気配がない。

すると、暗い夜空にパーンッ!の音と共に見覚えのあるものが打ち上る。

クルマンケが「花火だ~。」

と言うので、「あ~、ロケット花火だね~、珍しい~。」と、そのロケット花火風のものを眺めていたら、
花火の上がった遠方から、目鼻口を押さえてせき込みながら走って
逃げてくる人、人、人… 


「ガスだぁーっ!」


まぁ~じぃ~でぇ~っ!!!!!!!!!! ε=ε=ε=┏(゚ロ゚;)┛



前座の1曲も聞き終えてない位の到着して数分の出来事だった。


幸い、この時気付いたのが早かったのと、催涙弾が放たれたのが
遠かったので1回目の様な苦しみや痛みはなかったけど、後日聞いたら、病院に運ばれた人が沢山いたとの事。

催涙弾が放たれた理由は、会場に入らず只観している人達を追い払う事。

てかさー、お金払って入った人達にも多少の被害は出たんじゃないの?

ま、これがギニアなのかも。

毎年何かしらのドッキリがある。

気を付けていれば楽しく過ごせるけれど、やはりそれなりの代償があったりなかったり。

でも良い所ですよ~☆






2012/07/25

アミナタ家、とりあえず引っ越し完了です。

超個人的な内容で申し訳ありません。 m(_ _)m

・・・・・・・・・・


今年の3月終り頃、大屋さんからいきなり立ち退き宣告をされたアミナタ先生とその一家。

高額家賃にもめげず、多様なコネクションを使いまくって探した家に、今月引っ越すことが出来ました~\( ̄▽ ̄)/やったね母ちゃん!

とりあえずご報告まで。

子供たちの学校も、以前のご近所さんも、何から何までほとんど変わらず本当に良かった。
















2012/07/13

ストレスかぁ・・・

年を取るにつれて、自分の【心】が言うこと聞かなくなる事が増えたように思う。

それは、 【心】が大人になりきっていないようにも思う。


夕食を取りながら、BGM程度にNHKの「特報首都圏」と言う情報番組を観ていた。

テーマは「ストレス爆発をどう防ぐ」。


精神科医の先生が言っていた事が、なるほどと思ったのでちょっとメモ。

・子供がなぜ泣くか、それは、自分の思い通りにならない怒りの表れ。

・現代人は他者へ話したり相談できずに溜め込んでしまい、それがストレスとして
溜まり、爆発の矛先が他人と自分の2つに分かれる。

・他人爆発型は、暴力や暴言として他人を傷つける。
例として、駅のホームで見ず知らずの人を突き飛ばしてホームの下へ
転落させてしまった事件。
病院で、入院/通院患者が病院業務員に対して吐く暴言。
図書館などで、ボールペンで字を書く音、本をしまう音などが気になって言い合いになる等。

・自分攻撃型は、誰にも相談できない事から、会社を休職せざるを得ない状態に陥る事。

・現代日本社会は、非常に便利になって来ている。
例えば、食べたい時にファーストフード等すぐに食べたいものが手に入る、欲しい物が
時間をかけずに思ったらすぐに入手可能になっている。
そのせいで、少しでも思い通りにいかないと我慢が出来ずにストレスになってしまう。


一番最後に書いた事は、私にとっては目からうろこ。
じゃあ、逆に不便な事はストレスにならないのか?

いつものごとくギニアを例に挙げると解りやすいかもしれない。

ギニアはいつ、何時に電気が来るかわからない地域がほとんど。

電気が来ても大体夜だから、いつも深夜勤だと言う友達もいた。

大変だねって言うと、「仕方ないよ、それが僕の仕事だから。」で終わる。


今年ギニア滞在中に、いきなり住んでる家の屋根の修繕工事が始まり、
大家さんのお財布事情で部材が入手できずに、1週間雨ざらしで暮らしていた。

もちろん雨は降る。

雨が降る度に雨水をかき出し、掃除。

雨は大体深夜か早朝に降るので、睡眠もままならず掃除。

私は精神的に参りそうになるが、彼氏は慣れた手つきであっという間に掃除をし、
「以前住んでた家もこうだった。あの頃を思い出す。」と話してくれた笑顔に救われた。

不便な事は、不自然ではない。

ギニア渡航の準備の度に思うことは、何でもある日本で「これ用にはこれ、あれ用にはあれ」
と言う様にそれ専用の道具が揃い過ぎていると言う事。

代用できないものは仕方ないけど、こんなものまで必要なのかな?と思うものが沢山あふれている。

それが豊かさなんだろうか?

でもストレス社会なんでしょ?

ストレスにならない様に便利になりすぎて、我慢する【心】が退化してる。


最後に、ある会社の試みで、古民家をその会社で貸切り、日替わりで他部署の社員同士数名で
共同生活を送る例が紹介されていた。

日常生活から離れてリフレッシュする事と、他部署同士で仕事を離れて生活することで得られる信頼関係等を培う事が目的だそうだ。

以前はその会社では休職者が絶えなかったらしいが、今ではゼロだと言う。

その会社の事務所内が映し出された時、ある女性社員がなんと!バランスボールに座って
デスクワークをしているではないですか!?

他のデスクにも、普通なら椅子がおいてあるスペースにバランスボールが仕舞われていた。

何て良い会社だ~( ̄▽ ̄)

























2012/07/08

アドゥマンエ~

※タイトルの「アドゥマン」は、ギニアのマリンケ族の言葉で、
「美味しい、心地良い、気持ちが良い」と言う様な意味。

この場合、意訳すると「最高!」です。

因みにスス語では「アニョゴ(ホ)ン」と言います。
文字にあらわすと、発音表記が難しいスス語です…


・・・・・・・・・・



昨日の七夕に、片瀬江の島で開催されたドゥニヤジャパンツアー2012
湘南ワークへ行ってきました。


毎年1回は神奈川県に出向いて、アフリカンダンスとジェンベを教えて下さる
ソロさんとクレアさんに加え、今回はお二人の念願叶って2人も!
ギニアからのお客様、ペルキッション=デ=クルサのサンバニストのモリ・バヨと、
故ケモコ・サノ氏を父に持ち、来日経験もありNYで活躍中の兄ママディ・サノ氏の妹
ロキア・サノが初来日し、更に!ドゥニヤメンバーのホズくんと、ジョージさんも加えての
スペシャルワークでした~!\( ̄▽ ̄)/ヤッター!


なのに…


ギニアから帰国して1カ月、全く踊ってなかったわけではなかったけど、
バレエ団さながらのウォーミングアップにテンションが上がってしまい、
張り切って踊ってたら持病の不正脈が早速出て、その後グダグダ…(T T)ウェ~ン

何とか踊りきった1クラス目はドゥンドゥンバ。

ヤバイ、大好きなリズムなだけに更に私のBPMがアップ、
ドラマーのBPMもアップでアップアップっす!(@~@;)


ロキアはギニアで活躍するトップダンサーで、
(因みに私の師匠アミナタも現役ダンサーですよ~。)
教えてくれるダンスの振りもギニアの首都コナクリで主流となりつつある、
一振り(シグナル/ブレイクと呼ばれる、ソロジェンベの合図から合図まで)
に2つ3つの異なる振りが混ざった長~い振りのオンパレード。

これ、初めてギニア人から教わる人や、初心者にはきついんじゃないかと思ったけど、
そこは頑張り屋さんの日本人ですから、皆一生懸命に、そして楽しそうに踊っていたのは
流石だな~と思いました。

誰も音を上げる事なく、合間合間は笑顔でした。

音を上げて、合間に笑顔が引きつっていたのは私ですけど…(_ _;)

くやしぃ~!ヾ(`皿´)ノ 


絶対リベンジ(この場合は回復)してやるんだ!と、ドラムクラス中の
ダンスクラスがお休みの間に、スポーツドリンクとエナジードリンク
を飲みましたが…

2クラス目は、これまた私の大好きなリズム(基本、なんでも好き)、ソコ。

あぁ、しかもアミナタ先生がいつも歌っていた歌をロキアも歌っている…

ソコレ~♪


しかし、1時間前に飲んだエナジードリンクは、2クラス目の最後の最後に
効いてきた様で、結局2クラスとも完走出来なかった…

乾けなかった方の乾燥もありか…



クレアさんが、
「このワークの2日前にギニアから到着したばかりでまだまだ疲れてるはずなのに、
ロキアは本当に手を抜かず、始終全力で踊ってくれて、本当に凄い!」
と絶賛していました。

いや~、ホントにそうですよ。

だからこっちもそれに応えて全力で踊りたいし、きっと、集まった人たちが
一生懸命踊っていたからロキアもそれに応えてくれたのかな~と、
初めての日本だしね。

これで次に繋がれば、彼女たちにとって良い経験になるだろう。


日本で、ギニアで現役で活躍しているアーティストに触れる機会は
なかなか無いです!

チャンスのある方は是非、本物に触れて欲しいです。

彼らの音楽だけでなく、人柄にも触れてみて下さい。


でもって、こんなのはきっと序の口…

ユスフ先生はもっときついんだろうなぁ…

体力つけておかなきゃ!







ワーク会場で買いました!

モリも参加しているソロさんの最新CDと、ロキアが所属するコナクリのバレエ団、
メルベイユ=デ=ギネのDVD。







CDにはソロさんとモリから、DVDにロキアからサインを頂きました。

ソロさんが私の名前を書いてくれました。
「ミホ」って、ギニア人には発音しにくい「H」の音。

ソロさんに「H」だよって教えたけど、ホントに?みたいな返事だった。

ギニアで、ギニア人に私の名前のスペルをローマ字で教える際、
危うく「MIFO」にされる所だったって事例もあるし、
フランス語で書くとまた違うのかな???


























2012/06/27

映画を観てきました。

先週の日曜日に、「セヴァンの地球のなおし方」と言うドキュメンタリー映画を観に行った。





「セヴァン」と言うのは、今から20年前の1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された
環境サミットにおいて、わずか12歳で伝説のスピーチを行った人物、
セヴァン=カリス・スズキの事。





現在、環境活動家として活躍する彼女は、この映画のキーパーソンとして出演している。


『どうやってなおすのかわからないものを
壊しつづけるのはもうやめてください。』


あれから20年近くがたったが、状況は相変わらずである事を悲しみ、
涙を流すシーンもあった。

「相変わらず」ではなく更に悪化している様にも思えるが…

この幼いセヴァンのスピーチシーンがところどころで映し出され、
涙が込み上げそうになった。

子供の真っ直ぐな言葉は、時に痛い。
大人になった私が改めて彼女のスピーチを聞いたからかもしれない。

20年前は私も子供だったから良く解らなかったけど、今の日本の状況を考えると…

20年前の映像を観ながら、今の子供たちの声を聞いている様で、
とても苦しく、申し訳なく、情けなく思わざるを得ない。

原題は「Severn  La voix de nos enfants (セヴァン 私たちの子供の声)」。
ジャン=ポール・ジョーと言うフランス人監督の作品。

邦題の訳が違うが、映画の中に、セヴァン以外に地球をなおそうと言う
志のある人々が出てくるので、きっとこの邦題になったのではないかと思う。

その中には日本で有機農業を実践する方々も出てくるので、
日本人の私が観ていても共感出来る事は沢山あった。

「遠い国の事ではない」と言う焦りも一緒に。


『 「母なる自然を守り地球を救わなくては」 気持ちはわかりますが、
私の考えは違います。
地球は自力で生き残れる。

私たちが望むのは、幸せで健康な生活です。
大切なのは生活の質と健康、そして子どもなんです。

だから私は自己中心的に、自分たちをどう救うかを考えていきたい。 』

セヴァン・カリス=スズキ


ジャン監督は、この映画が日本で上映された昨年6月に来日し、
カメラを持って福島訪れている。

次回作のテーマは「原発」だそう。


















2012/06/08

ぎっくり腰風なものになりました。

ギニアで。

何故ぎっくり腰になったかと言うと、ダンスレッスンが理由ではない。

毎日レッスンから戻っては、レッスン着を洗濯する日々。

ぎっくりした日も帰宅して洗濯。

その日はたまたま、レッスン着の他にも自分の普段着やクルマンケの服、
汚れた食器等、洗い物が特にたまっていた。

ためたくてためたわけではなくて、水道事情が日本とは違い、
蛇口をひねればいつでも水が出るわけではない。

家に居る時間に水が来ていれば水くみが出来るし、来ていなければ
来る日まで待たなければいけない。
それまで水は大事に使わないといけないので、洗濯は毎日しないのが
普通。

洗濯物が沢山あると疲れてしまし、本当に洗濯機のない洗濯って
大変なのっ!!!!!

レッスンよりも疲れるから、毎日少しの量をせっせと洗ってたんだけど
たまってしまう時もある。

で、話を戻して、10L位水が入った20Lポリタンクと、20L満水の
ポリタンクを外に出して玄関先で洗っていた。

10L使い果たし、満水の方は1,2L位の使用で済んだので、
全て洗い終えた後に、ほぼ満水のポリタンクを家にしまうわけだけど、
家の構造上、玄関先から玄関の戸まで5,6段程の階段を上る。

その階段をほぼ20Lの水を持ち上り、更にいくつかポリタンクが
家の中にあるわけだけど、ほぼ20Lの水を、そのポリタンクの上に
乗っけようとソリャッ!って持ち上げた瞬間、鈍い音が体の中で
響いた(気がした)わけですよ…

ほぼ20Lの水を持ち上げた時の姿勢も角度も悪かったのかもな~…

洗濯物も干し終え、洗った食器も仕舞い、最後のタンクでこれか~…

どうする事も出来ず、とりあえず、ゆっくりゆっくりベッドまで歩いて横になり、アミナタに電話。

次の日の朝の状態次第では、休みにして欲しいとお願いした。


ぎっくりやったのが初めてだったから、本当にぎっくり腰かわからないし、
とりあえず、日本から持ってきた湿布を貼って、鎮痛剤を飲んで、
4日間はゴロゴロ過ごしてました。

でも、この4日の間にクルマンケが食あたりを起こし、ぎっくり腰の私が
看病する事になって・・・。

ギニアって、ホント面白い所です(笑)。













































2012/06/06

ギニアって国は…

ギニア人は、日本人よりも筋肉量が多く、運動量も多く、そして死亡率が高く、平均寿命が低い。

その原因のほとんどが病によるもの。

日本人よりも力が強く、健康体に見えてもだ。



今年、又1人友達が病の為亡くなった。

帰国早々の報告が訃報で申し訳ないけれど、これを先ず書かなくてはいけないと思った。


彼女の名前は、アミナタ・ジュバテ。

マリンケのイェリムソ(グリオの家系、彼女はセレモニー歌手)だ。




初めてあったのは2008年。

キソソに住むダンスの先生を紹介してもらい、アミはその先生の友達だった。

彼女達はキソソにあるグループ「バガタ」のメンバーで、そこの練習に参加させてもらっていた私に
ダンスの指導をしてくれた。


2009年、2010年。

この年は、私の彼氏のグループ「バランドゥグカン」の練習に参加させてもらった。
バランドゥグカンは元々パーカッション中心のグループだったが、ダンサーを充実させるために、
アミを指導者兼グループのトップダンサーに迎えていた。

ここでも沢山のダンスを教えてもらった。


2011年。

私のダンスの師匠、アミナタ・コンテ師の実弟、コロのお墓参りの為にフォレカリアへ出向いた帰り、
セレモニーの仕事でやって来ていたアミに偶然再会する。

この年は、これが彼女との最初の対面で、これが彼女との永遠に最後の対面になってしまった。


彼女のダンスが大好きだった。

小さな体でとてもパワフル且つダイナミックに踊る彼女は、
名前からして、私の師匠のアミナタにとてもシンクロする。

男勝りで、よくグループ内で衝突していた。

髪を編む仕事をしていて、いつも綺麗に編んでいて、とてもお洒落で可愛いのに、ひょうきんさは人一倍だった。


この訃報を、師匠アミナタにも話した。

師匠アミナタも彼女の事を少し知っていて、勿論ダンスも見た事があった。

「人が亡くなる事は悲しい事だが、アーティストが亡くなるのは、同じアーティストとして本当に
悲しい…」


ギニア人の友達の数より、日本人の友達の数の方が多いが、
亡くなった友達の数はギニア人の方が多い。


アーティストや、亡くなったアミの様にセレモニーの仕事があっても、収入は私達が考えているより
はるかに不安定だ。

ご飯が食べられないなんて当たり前の事。

そんな彼女達に私は何年もお世話になりダンスを習い、日本の生活の潤いを頂いている。


彼女達の素晴らしい音楽文化を学ぶだけでなく、実生活や彼女達の置かれている環境についても
同じように学び理解して下さい。

きっと、踊り方や叩き方に良い変化をもたらしてくれると、私は思います。





















2012/03/05

早速だ…

2012/3/5
成田
アエロフロート機内預け23kgまでok。
手荷物10kgまで。

手荷物が13kgあり、機内預け荷物が21kgだったので、内容物移動を言われる。

アエロフロート機内預け荷物は20kgだと思ってたけどなぁ。

結局、移動をさせた機内預け荷物は24kgになり、手荷物の計量は細かく見ていなかった。

「帰りは機内預け荷物の中身は減りますよね?」と言われ、減ると返事。
仕方ないですねって表情で機内預け荷物クリア。
それ位の事で通して貰えるんだ。

アエロフロートはチェックインが遅いと重量チェックが厳しく、早い程甘いとネットのブログで見た事がある。
2番目に並び早々にチェックインしたけど、こういう事って日々変わるよね、やっぱり。


搭乗ゲートにて。
搭乗時刻20分前位に名前を呼ばれ、何かと思いきや預け荷物の中のスプレー缶を確認したいから開けろと言う。

搭乗ゲートまで私のスーツケースが運ばれていた。

チェックインの際に荷物移動をし、無理矢理閉じたビックリ箱状態のスーツケースをここで開けろと…

成分次第では持ち込めないとの事。

初耳~。
毎年同じ物を持って行っているのになんてこった。

調べに来たのは空港職員で、アエロフロート以外の航空会社全ての規程との事。

殺虫成分と、高圧ガスで火気厳禁な事がNGとの事で没収。

破棄されてしまうなんて勿体ないので、帰国の際に受け取れるかどうか、実家に着払い配送可能かの相談は、アエロフロートとしろとの事。
アエロフロート職員に頼み、特例サービスと念を押され、配送して貰う事に。
ただ、配送業者側で可能な場合に限りとの事。

渡航1〜2週間程度なら預かり帰国時に返却は可能だが、3ヶ月は保管出来ないとの事。

家では使い道はないが、破棄される勿体なさを考えると、無理を言って何とかしてもらいたくなる。

持ち込み不可品の山が空港にはあるんだろうか?
捨ててしまうなんて、何かね。

2012/03/04

ジタバタしておりますっ!

そして、眠れない。

月曜日にはギニアに向けて出発だっつーのに中々準備が進まず悪あがき中です。


本日はお日柄も良く、ギリギリになって川崎大師さまへ旅祈願へ行って来ました。

おみくじ、大吉を頂きました。



しかし、案ずる事なかれ、なかれです。

ギニアの治安の悪さ情報が方々から入って来て居るので、用心に用心を重ねてね。

あ、皆様、私に一言「気を付けて」
と言って頂けないでしょうか?

この言葉は、発した相手を守って下さると、松坂慶子さんが言ってましたので、
どうかよろしくお願いします。


今日は境内に出店も沢山出ていて参拝者も多かったので、新年明けて少し
落ち着いた日の初詣の様でした。



大師さまを後にして、浅草へ母方の祖母のお墓参りへ向かいました。


























母は満州生まれ長野育ち。
親戚も長野に多く住んでいるのに、祖父が何故か浅草にお墓を購入したそうです。

私は、電車で気軽に行ける距離で良かったなと思うけど。

因みに、父は樺太生まれの青森育ち。
父方のご先祖さまのお墓は青森にあるので、機会を作って行ってみたいなぁ。

話を浅草に戻します。

祖母は自身の誕生日を過ぎて直ぐに亡くなり、今年で3年になります。

亡くなった年から去年までで3回忌になるんですかね?
親戚で集まってお経を読んで頂いたんですが、今年はなかったので個人的に行って来ました。

祖母の墓前でも旅の安全と、留守の間の実家の安全祈願をしました。

無事に帰国したら又来る事を約束して。

何故か不思議とその場を離れ難かったな。


直前までジタバタしてるのは自分の怠け癖のせいで、準備万端ではない事も旅の不安さに拍車がかかります。

でも今日はとても晴れやかで、お参りしている時だけは不安が拭えられました。


あ~、でもやっぱりドキドキ動悸がする。

それでは、行ってまいります。






































2012/02/18

何でもない様な事が、幸せなんだと思う。

寒さが増すと、疲労感も増しませんか?

今年の、今月のこの寒さと忙しいさに余計に疲労させられてる気がする。

土曜に休日出勤で、出来るだけ早く上がろうとお昼休憩を取らずに、もちろんお昼ご飯も食べずに仕事を片付けた。

疲れと空腹感がイライラを発生させる。

とにかく何か食べようと、地元の駅にある「まーちゃんキッチン」と言うカレー屋さんに入った。

前からちょっと気になっていたお店。
(地元に洒落オツな場所があるだけで目立つので)

表看板に写真付きで出ていた、茄子のチーズカレーにしよう!

と、お店に入りメニューを見ると、今月のオススメ
「ロースカツカレー」に即軌道変更。

揚げ物は外でしか食べないので、疲れてたし、空腹MAXだし…しかも、追加オプションで
チーズトッピングも出来る!

チーズも食べたかったし丁度良い。


他のトッピングメニューに、鶏の唐揚げもあり、茄子チーズに唐揚げも良いな~と、
やや茄子が引っ掛かったままオーダーを取ってもらったせいか、思わず
「あと鶏唐も。」と言ってしまった。

カレーが運ばれて来て、はっ!( ̄◇ ̄;)
肉肉じゃん…と気付くが、うんま~( ̄▽ ̄)サクッ!ジュワ~最高。

レジで会計してもらう際、まーちゃんらしき方が、
「お腹いっぱいになったでしょう?」
と声を掛けて来た。

レジを打ってくれたのは女性従業員の方で、その方が後に続き、
「あのトッピング、皆で『美味しそう~♪』って言ってたんですよ。」

高カロリーではあったけど、ロースカツにとろけるチーズのトッピングとまさかの鶏唐揚げ(笑)
肉食い過ぎたかな?と恥ずかしくなったけど、初めて入ったお店でお一人様な私に
声を掛けてくれた事が嬉しくなり、私も、
「今日は仕事で~ナンダカンダ…お昼食べてなくて~ナンダカンダ…お肉が目に付いて~
ナンダカンダ…」と、肉に肉トッピングな事を言い訳する様につい長返事してしまった。

入店時に満席だった店内も最後は私だけになり、他にお客さんがいなかったから
話し掛けてくれたのかもしれない。
その話し掛け方に馴れ馴れしい感じもなく、こちらからも自然と言葉が出てくる様な話し方が
心地良かった。

お昼時だったにしろ、満席だったのも頷けるなぁ。

味も中々で、辛さを調節出来る様に一味唐辛子の粉末をカレーと一緒に持って来てくれた事も気に入った。

お腹いっぱい胸いっぱいでお店を出た。





























2012/01/09

不眠登山 By Easy Tone

遅ればせながら、謹賀新年申し上げます。

さて4日より、年末年始休暇のゴロゴロ生活から通常業務に無理やり戻しまして、
体調も崩すことなく過ごしています。

…が、流石にこの3連休は無理をしてしまいました。

それでも連休最終日の目覚めを昼に迎えたことで、何とかリセット出来て…

いるのかおいっ。
明日から仕事だぞ!

そんなわけで、この連休の出来事を書かないと話が始まらないわけですね。


・・・・・・・・・・

1月7日 起床11時半

私は東京23区から遠い横浜市の端っこに住んでいて、都内に出る時はいつも
2つ3つ用事を済ます様にしている。

交通費がもったいないからね。

この日は友達Mっちゃんと、町屋にあるアフリカ屋さんで待ち合わせをし、ラウラウの

用事1:アフリカ屋さんで、ファドウバ・ウラレ師と彼の息子達のDVDを購入。

因みに、クルマンケはこのDVD撮影の頃にはコナクリに上京していたので
参加してないんだけど、CDではドゥンドゥンを叩いているので、良かったら
聴いてみて下さい。

CD

DVD


用事2:アラカマさんとアイシャさんの結婚式の写真を受け取る。

アラカマさんとアイシャさんは、日本滞在経験があるギニア人です。
当時は全く知らなかったんだけど、共通の友人からお二人を紹介してもらい、
ギニア初渡航以来お世話になっています。

アフリカ屋さんが、お二人が無くしたと言う結婚式の写真があるから、
ギニア渡航の際に持って行って欲しいとの事で預かりました。

早く渡したーい!
喜ぶ顔をみたーい!

ギニア人はとにかく写真が好き(中には、特に村のお年寄りは嫌う方もいるけど)。
日本の様に手軽ではないし、一家に一台カメラがあるわけではないのでね。


待ち合わせをしていたMっちゃんと色々話したい事もあって、最初は何処かで
お茶でもしながら~って思っていたけど、結局アフリカ屋さんでお茶を頂き、
すっかり長居してしまいました。

カフェではないですが、とても居心地が良いですよ(^^)

アフリカ屋さん、ありがとうございます。


用事3:ラウラウDDB。

新年初の面々ばかりで、あいさつをしながらふと見ると、

にしやま~ん!!!!!!!!!!

右の赤いタンクトップがにしやまん。


杉ポンが飛ぶ!



バラフォン叩いてるって事は、ギネファレとマネですよ~。




最初はサンバンを叩いていたにしやまん。
Uキンに勧められ、「ちょっとね」って言っていたけど、ラウラウがガンガンに上げてしまった
ソコのアコンパも叩けてしまうのは流石だな~。

最後はギネファレとマネ。
ラウラウのスス族のリズムですね。


( ̄ー ̄)今年のアミナタDVDはマネ入れようかな…



楽しかったDDBもあっと言う間に終わり、いざ藤沢へ!

10日からブルキナとギニアへ向かうDちゃんとChちゃん&セッセマーラーズが
丹沢の大山(おおやま)へご来光登山するとの事で、その差し入れを持ってお見送りに。

5日にDちゃんから誘われて、山頂カップラーメンに連れられて登る気だったんだけど、
登山靴がないときついかもと言うTミンからの助言で、私はお見送り組に変更する事にしていた。

詳細解らないまま、登るのは8日深夜から9日早朝にかけてと信じたまま、
Chちゃんに藤沢に向かうコールをすると、
「後3時間位で出発するよ。」





( ̄◇ ̄;)あんだってぇ…???


DDB会場のオリセン最寄り駅、小田急参宮橋から
藤沢までの終電しか気にしておらず、DDB後に皆と歓談していたら自宅までの終電なんて
間に合わなくなっていたので、とりあえず藤沢へ着いてからどうするか考える事にした。

因みに、参宮橋から新宿乗り換えでJRを使うと、藤沢まで1時間16分かかり1070円。
そのまま小田急線を使うと1時間22分かかり、570円!!!!!

安いですね~。


藤沢着、8日0:30。
登山に備えて寝ていたChちゃんに迎えに来てもらう。

7日朝(昼)から何も食べていない私に、すっかり目が覚めてしまったからと
Chちゃんがおじやを作ってくれた。

すみませんm( _ _;)m私の勘違いでお手数おかけしました…

そんな流れで、防寒着をDちゃんとChちゃんに借りて、

バランスボールテクノロジーをソールに採用していて、注意書きにも「この製品は傾斜や不安定な状態を意図的に作り出すことにより、トレーニング効果を生み出す事を目的とした製品です。よって転倒やつまづきの危険性がありますのでご注意ください。」


って書かれているイージートーンを履いて山頂まで登って、無事に下山出来ました。

山頂で観たご来光。

お湯が湧くのを待ちきれない7歳と8歳。

今回のパーティーは、下は7歳、上はアラフィフ?アラシックス?

山頂でのカップラーメンを待ちきれないキッズと、足元だけ登山使用で
あとはタウン着使用のシニアに先頭を歩かせたのが間違い。

この3人が驚くほど速く登る登る。

キッズは霜柱や落ちている木の枝、大山の七不思議に大興奮!

この先には何があるんだろうと、ほぼ走りながら登っては、
「あった~!」

と姿の見えない先から叫んでいました。

この子達のお陰で登って下れたと言っても過言じゃないですね。

キッズのお父さんは、1人で登山する程の山男で、
「あいつら大山位じゃ物足りねぇな。」
と言ってました。

このキッズがヒーヒー言うような登山、私はどうなってしまうんだと…行かないけど。



さて、ここまで長々お読み頂いたわけですが、皆さんお忘れだと思いますので
補足を入れさせて頂きますと、不安定なウォーキングシューズでの初本格登山も
そうなんですが、わたくし、タイトルにもある様に寝ないで登山そして下山しております!

バカですね~。
しかもDDBパーティーで散々踊った後ですよ。

何のトレーニングなんだと。

でも、意外と大丈夫。

これも、週に2度の練習会と平日往復2時間の自転車通勤のお陰でしょうか。

ま、腰痛は否めませんが。

今のところ腰痛以外の痛みはないので、今回の登山、ヨカタダシ。


そんなわけで、2012年も頑張って行きます。