その原因のほとんどが病によるもの。
日本人よりも力が強く、健康体に見えてもだ。
今年、又1人友達が病の為亡くなった。
帰国早々の報告が訃報で申し訳ないけれど、これを先ず書かなくてはいけないと思った。
彼女の名前は、アミナタ・ジュバテ。
マリンケのイェリムソ(グリオの家系、彼女はセレモニー歌手)だ。
初めてあったのは2008年。
キソソに住むダンスの先生を紹介してもらい、アミはその先生の友達だった。
彼女達はキソソにあるグループ「バガタ」のメンバーで、そこの練習に参加させてもらっていた私に
ダンスの指導をしてくれた。
2009年、2010年。
この年は、私の彼氏のグループ「バランドゥグカン」の練習に参加させてもらった。
バランドゥグカンは元々パーカッション中心のグループだったが、ダンサーを充実させるために、
アミを指導者兼グループのトップダンサーに迎えていた。
ここでも沢山のダンスを教えてもらった。
2011年。
私のダンスの師匠、アミナタ・コンテ師の実弟、コロのお墓参りの為にフォレカリアへ出向いた帰り、
セレモニーの仕事でやって来ていたアミに偶然再会する。
この年は、これが彼女との最初の対面で、これが彼女との永遠に最後の対面になってしまった。
彼女のダンスが大好きだった。
小さな体でとてもパワフル且つダイナミックに踊る彼女は、
名前からして、私の師匠のアミナタにとてもシンクロする。
男勝りで、よくグループ内で衝突していた。
髪を編む仕事をしていて、いつも綺麗に編んでいて、とてもお洒落で可愛いのに、ひょうきんさは人一倍だった。
この訃報を、師匠アミナタにも話した。
師匠アミナタも彼女の事を少し知っていて、勿論ダンスも見た事があった。
「人が亡くなる事は悲しい事だが、アーティストが亡くなるのは、同じアーティストとして本当に
悲しい…」
ギニア人の友達の数より、日本人の友達の数の方が多いが、
亡くなった友達の数はギニア人の方が多い。
アーティストや、亡くなったアミの様にセレモニーの仕事があっても、収入は私達が考えているより
はるかに不安定だ。
ご飯が食べられないなんて当たり前の事。
そんな彼女達に私は何年もお世話になりダンスを習い、日本の生活の潤いを頂いている。
彼女達の素晴らしい音楽文化を学ぶだけでなく、実生活や彼女達の置かれている環境についても
同じように学び理解して下さい。
きっと、踊り方や叩き方に良い変化をもたらしてくれると、私は思います。
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