2012/09/28

この中に、お医者様はいらっしゃいませんか?

2012年、現地時間3月6日にギニアに入った。

空港にはクルマンケの他に、仕事で留守にしていた
師匠アミナタの旦那マディーも出迎えてくれた。

マディーは自分のバイクで来ていたので、私とクルマンケは
タクシーを拾いそれぞれギニアの我が家へ向かった。

マディーの異変に気付いたのは、アミナタが仕事から戻った数日後だった。

マディーは若い頃、ギニアでも割としっかりしたサッカーチームの選手だった。

ヨーロッパのサッカーシャツではない、オリジナルのユニフォームに
スバイクらしきシューズでチームメイトと写っている写真が
飾られているので確か。

その同窓会試合が、私が到着するひと月前にあったらしい。


私「マディー、足どうしたの?」

マ「サッカーで痛めちゃって…」

ア「マディーが転んで四つん這いになったところに、
こんっっっっっなに!(両手をいっぱいに広げて)太った人が、
マディーの足首辺りにデーンッ!て尻もちついたのよ!
こんっなに太った人!アッハッハッハッ!( ̄▽ ̄) 」


母ちゃん…( ̄▽ ̄;) 笑ったら可哀想…


歩き出しの痛みが強い様で、最初はゆっくり、調子が出てくると
普通の早さで歩けるし、リハビリかの様に小走りしたりもしていたから
打ち身か捻挫だろうと思ってた。

お金がある時にだけ接骨院の様な病院へ通い、塗り薬と
青い光を当てる治療を続けていた。

私がお土産で持って行ったタイガーバームと冷湿布が「痛みが和らぐ」
とも言っていたので、骨ではないだろうと素人ながらに思っていた。

しかし、治るどころか痛みが増した気がすると言い出した。

腫れてもいないし、熱も持っていない。

しばらくしてレントゲンを撮ってみようと言う事になり、
仕事がないマディーの代わりにアミナタが20万ギニアフランを用立てた。

5千ギニアフランが約60円位だったから、2.400円か。

日本で、国保でレントゲン撮るとこれ位するのかな?

もしそうなら、先進国と同じ医療費はキツイ。


撮ったレントゲンは患者さん保管の様で私も見る事が出来たんたけど、
何とまぁ、足首に4センチ程の黒い線がピキッと入ってた。

あららら…ヒビいっちゃってたのね。

よくそれでバイク乗ったり小走りしたり出来たなぁ。


そしてギプスをはめる事になり、ますます歩き難くなったマディー。

ギプスは4週間で取れるとの事で、
はぁ~、原因も分かって一安心だね~ (^_^)ヾ(^^ )
と一件落着かと思いきや、ギプスが外れても痛みが和らぐ気配無し。

どう言う事???


アミナタ家の引っ越し騒動等があり、私が支払ったワーク代も
底をついていたので病院に行く事も出来ないまま、痛みの原因も解らないまま私は帰国。
その後もゆっくり歩く事は出来るがかなり痛かったらしい。

痛いなら出歩くな!ヾ(`皿´)ノ もぉ~っ=3


それから更に月日は経ち、今現在未完治なんですけど~( ̄◇ ̄;)

何で?何で??何でなの???


私よりも本人が知りたいだろう。

ブティック・アミナタの売上、DVDの売上を小出しの小出しで送金し、
それでもマディー1人の治療費に使い切る事は出来ないだろうから
どうしていたんだろうなぁ。

って言う、かなり苦しい事情は事細かく知ってるけどココでは書かない。

欲を満たす為に、150円位のお菓子1個さえも買えなくなる位、
私には胸が痛む話。

お菓子を我慢したところでギニアは潤うわけでもないし、私の贅肉が減るわけでもないんだけど…。

(*`◇´*)ノ" 私のお腹(贅肉)よりギニアに潤いを!




さて、今週になって、毎日のようにアミナタから着信があった。

8、9月と忙しくて、クルマンケにさえも電話が出来ずにいて、
2人に、「時間がある時にこちらから電話するからね。」と言ったまま
ふた月が経とうとしていた。

クルマンケは、余程の大事でない限り電話はして来ない様にしてくれている。

アミナタから着信があったその日も出る事が出来ずにいた。

その後直ぐにクルマンケからも着信があり、これはただ事ではないと思い
急いで折返す。


「マディーの足、手術が必要らしい…」

手術費・術後治療費が揃い次第急いで手術したいと言う。


150円のお菓子を何回我慢したら良いんだろう…


途方に暮れてしまった。

またアミナタの家族を助けられないのだろうかと。

一人で悩んでいても仕方がないので、周りに手を貸して貰う事にしました。


・・・・・・・・・・

※下記のWSは終了しております。
2014年3月のギニア渡航時現在、マディーの足は完治しております。
ご協力いただき、ありがとうございました。



【10月・助け合いアフリカンワークショップ】を開催します。

私個人の思いからアミナタ個人への支援なので、「助け合い」と致します。

「私と師匠アミナタの助け合い」、「私と日本の友人の助け合い」。


行う内容は、至って普通のドラムとダンスのワークショップです。

ワークショップのクラス費用は、会場費、講師駐車場以外の全額をアミナタの夫、マディーの手術と治療費の為に送金致します。

もし、ありがたい事に必要以上の送金額になった場合、入退院を繰り返している
アミナタの実母の医療費とさせて頂きます。


どうぞ、皆様のご協力をお願い申し上げます。


現在、10月末の送金を目指して、2回のワークショップスケジュールを設けました。

もし足りない様であれば11月も継続したいと思っております。

又、下記の開催日以外にも検討している最中であり、日時の追加などが
ある場合もあります。


以下、決定している日程と詳細です。


<横浜クラス>

開催日:10月13日(土)、28日(日)

ドラムクラス:15:00~16:50
料金:1.500円
講師:大久保 潤
太鼓レンタル無料(要予約)

ダンスクラス:17:00~18:50
料金:1.500円
講師:しょうじ みほ

※両日とも時間帯は同じです。

場所:横浜市金沢スポーツセンター 研修室
横浜市金沢区長浜106-8
http://www.yspc.or.jp/kanazawa_sc_ysa/

※会場へのワークショップについてのお問い合わせはお止め下さい。

交通手段:
●京浜急行線『京急富岡駅』下車徒歩17分
●シーサイドライン『並木中央駅』下車徒歩7分
●横浜市営バス294系統(新杉田駅前より)
『第3小学校前』または『金沢スポーツセンター前』下車徒歩1分

 地図を拡大


駐車場:24台 
2時間 300円、以降30分ごとに50円

※向いにビアレ横浜店の有料駐車場があります。
2時間まで無料(レシート合計額千円以上で1時間無料)、以降20分ごとに100円 かかります。


・ダンスクラスは基本的に裸足で行いますが、履きなれたダンスシューズなどの
着用は自由です。

ステップによっては足首に負担がかかる事もありますので、ご自身の責任にて
お願いします。


・ダンスクラスの服装は、動きやすい恰好であれ何でも構いません。
汗を沢山かくと思いますので、着替え、水分補給のご用意をお願いします。


・施設内に、コインロッカー(使用後料金返却)、無料シャワールーム、自販機、給水機があります。


・ドラム、ダンスクラス共に同じ曲を演奏致します。

「助け合い」のため、ドラム、ダンスクラス両方受講時の割引はございませんが、
ドラムクラス参加の方が、ドラムクラスの料金のみでダンスクラスの太鼓を
叩いて頂く事は可能です。


・ドラム、ダンスクラス共に見学、録音、撮影可能。
※見学のみの録音、撮影不可。


・各クラスの予約は不要ですが、ドラムクラスの太鼓レンタルに限りがございますので、レンタルご希望の方は、ご一報下さい。

太鼓レンタル・お問い合わせ先
しょうじ みほ
concasseurdanse@gmail.com



大変へんぴな会場で申し訳ないのですが、沢山の方のご参加を心より
お待ち申し上げます。

このブログへのリンク、コピー転載はご自由にどうぞ。





































2012/09/04

雨。

季節が変わり行く雨なのかなぁ?

雷&ざっと降る降り方、ギニアだ…

・・・・・・・・・・

ファラナーからコナクリに戻って5日目、日本帰国まで2週間程と言う、超ナーバスな時期に追い打ちをかける事件が起こる。

レッスン後にマディナに買い物に行き、えっちらおっちら重い荷物を持って帰宅したら、家の屋根がなくなって居た。

クルマンケの家は、6軒の家が横並びに連なった長屋で、その内の1軒が雨漏りをしたらしく、修理の為に6軒分全部の屋根を剥がしやがった!

( ̄□ ̄;)空いた口が塞がらない。

こんな時な限ってクルマンケは出かけていて、とにかく家の中を確認すると、マタム地区は雨が降らなかったらしいが、出掛けた後に家があるマトト地区は降ったみたいで、屋根を剥がした木クズや屋根に乗っていた赤土埃やらが、雨水と共に部屋中に散乱。

水浸しの泥まみれで夢でも見てるのか、悪夢なら覚めてくれ!とはこの事…

脱力して、近所の軒に座ってクルマンケに電話。

とにかく早く帰って来ーいっ‼ヾ(`□´)ノ

とだけ伝えて、後は近所の奥さんに説明してもらった。

近所の奥さん達はこんな状態になっても不安がる事なく、いつも通りご飯を作ったり洗濯したり。

「ミホ、座り込んでないで、部屋掃除しよう!手伝うから!」

と、近所の奥さん達が言ってくれて泣きそうになった。

大丈夫!一人で少しづつやるよ!
クルマンケも直ぐ帰って来るし。
(;▽;)とは言いつつ、心は泣いてたよ~。

みんなの優しさと何とも言えない虚しさと…


やっぱり私はこの国ではとても弱すぎる。

そして、ギニア人はとても親切で頼りになる。

想定外の事にも動じず状況を受け止めて行動する、私には中々出来ない事だ。


とりあえず裸足では歩けない位の木クズや崩れ落ちた壁片を片付け、雨水を部屋からかき出し雑巾かけをし、汚れた食器を洗っているとクルマンケが帰って来た。

こいつ~っ!(−_−#) 粗方終わってから呑気に帰って来やがってっ!

とは言ってませんが、私が粗方片付けた後を手際良くササーッと掃除してくれて、あっと言う間に綺麗になった。


ベッドのマットレスも泥まみれだったので、夜は床にシーツを2枚引いて寝た。

蚊帳の位置がいつもより低く、キャンプテントみたいでちょっとテンションが上がる。

これ位の事でもテンション上げて行かないとね。

近所の奥さん達は、「今夜は良い風が入って良く眠れそうね~」とポジティブ発言をしていた。


その夜と言うか夜明け前の5時頃、本気の本降りの雨が降る。

屋根の下に大きな米袋を養生シート替わりに貼っていたので、部屋の中は雨漏りがする箇所が多数あるものの、軽い雨をしのげる場所はあったのでそこへ避難して雨が弱まるのを待ち、又クルマンケが掃除をしてくれた。

気力を無くして座り込む私に、

「以前住んでいた家もこうだった。懐かしい、あの頃を思い出すよ。」

以前住んでいた家は、私も行った事があり私にとっても思い出深い。

ギニアエキスプレスと言う鉄道建設の為に取り壊されてしまった。

昔を思い出して、ちょっと元気が出た。


しかし…

屋根の修繕工事は、大家さんの資金不足でギニア出国日5日前まで行われなかった。

10日間、屋根のない家に住んでました。

途中、知り合いの留守にして居る部屋に避難させてもらったりした。

屋根のない10日間は良く雨が降り、屋根が新しくなってからは全く降らず。

ça c'est la Guinée .


































屋根を枝